疑似科学

(以下、ポエム)

僕は割とインターネット大好きおじさんなんだけど、まだおじさんになる前、青年の頃はインターネットに夢を抱いていたものだ。誰もが自由に情報を摂取できて、誰もが自由に意見を公開できる…それって最高じゃない? 誰かと誰かが意見を戦わせ、しかも第三者がその議論を観測できる。そうであれば、時間が経過すれば「人類の総意」みたいなものができあがるのでは? 不毛な論争もない平和な世界、さいこーだ! やったぜ!

でも、実際はどうなんだろう。「人類の総意」みたいなものはできる気配もないし、むしろ人間の思考はインターネット登場後、さらにバラついたような気がする。

むかし、ディジタルディバイドという言葉が流行した。おじさんは知っている。これは電子機器を使いこなせる人とそうでない人では摂取できる情報の量が劇的に違うから、そこに情報格差がうまれるという意味であった。2017 年になって思うのは、電子機器を使いこなす技術より、情報処理する人間自身に格差があるのでは、ということだ。

たとえば、日本人の 90% がインターネットにアクセスできるこの時代に、なんで水素水なんか流行るんだろう。ホメオパシーなんか信じる人がいるのだろうか。

我ながら「信じる」という言葉はよく出てきたものだと思う。こういうのは、もはや信仰や宗教の世界だよなーと思う。

科学はホメオパシーを否定できない」という記事を読んだ。

「ホメオパシーは科学に基づいた説明もしているのだから、科学的批判を受け入れなければいけない」という主張は、あくまで科学を前提にした批判に過ぎないものです。なぜなら、彼らは「科学は間違っているが、科学でさえ支持していると言っただけ。本来の説明は別だ」言い逃れることができるからです。こうして、科学をいいとこ取りで好き放題に使い、批判されたら切り捨てられるというのは、疑似科学の特徴とも言えるでしょう。

まさに、その通りだ。

NATROM さんの著書は Amazon での 平均の レビューが芳しくないようだ。これは 1 (最低点) をつけている人間が多くいることが原因だ。一方で 5
(最高点) をつけている人間も相当な数いる。これはどう考えればいいのか。信仰を否定された人間は、否定する側の人間に対して冷静でいられないということだろう。やれやれ。

公開情報と公開討論による「人類の総意」は、人の信心のせいで後退してしまった。悲しい。本当に、悲しい。

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